校長先生の話はなぜ長いのか

ここ数年、歳を取れば取るほど厄介になっていくあることに割と真面目に悩んでいます。

それは、思考がシンプルではなくなってくることです。

経験値が増えれば増えるほど、あらゆることが有機的に繋がっていきます。

そうすると、1つの物事に対して幾十もの要素があることに気がつけるようになりますし、その1つの要素が要因としてとても小さくとも無駄でも不要でもないことや、全てがあるからバランスしている。ということだったりに気がつけるようになります。

校長先生のお話が長い理由がここにあると思い至ったのです。

たくさんの知見から親切心であれこれ色々と伝えたくなってしまうが故に話が複雑になり、そして長くなるということです。

以前は私の話を若い人たちはキラキラとした目で聞いてくれたのですが、最近はつまんなさそうです。

私の話が面白くなくなったんだろうなと自分を客観的に見てみると、随分と複雑に話すようになっていることに気がつくのです。

なるほど。

親切心で欲張りに色々と伝えても受け取れる人は少ないだろうし、もし受け取れる人がいたとしてもその人は元々自分で気がつける人だから、あれこれ先回りして伝えることよりも、事を終えた時にニッコリと笑って「だよね。わかる。」と頷けば良いだけなんだろうね。

なんなら、古いアメリカの映画の太っちょの主役のように両手の人差し指でアナタを指してウィンクしたい感じ。

脳内にイメージが湧いていたなら、私と歳が近いですね。

そして、たちが悪いのが遜る気が失せていることなんです。これはもはや老害。

そう、私、自覚のある老害なんです。

でも、同じような視座で話せる人が欲しいと思っていることもまた事実なのです。

消化不良なんでしょうね。だから遜ることも億劫になっている。

ということで、こうやってブログでのアウトプットを開始したのですよ。

ここ数年、インプットして自分の中で考えて、またインプットして考えて。を繰り返したことで「人に話す前提で情報を整理する癖がなくなっている」ことに繋がったのです。

しばらくはリハビリのように書き殴って行きますが、まだまだ複雑に書いてしまうと思いますので、「リハビリ中なんだな」と経過も含めて楽しんでいただければと思います。

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